私が初めてインドに留学したのは1972年だった。今年でちょうど40年になる。何も分からないまま行ったので、現地での生活はとても大変だった。 アディヤール川沿いにある州立音楽大学に通ったが、そこで教えて下さったヴィーナ―の先生はRajalakshmi 先生とKalpakam 先生だった。
大学の校門。敷地が広いので、ここからけっこう歩いて校舎にたどりつく。
大学のホールでの講演
Rajalakshmi 先生とクラスメート
Kalpakam 先生と
ヴィーナ―の教室の下の階で 声楽を教えていたK.V. Narayanaswamy先生
大学の授業はグループレッスンで、私はちんぷんかんぷんでついて行けず、落ちこぼれていた。
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授業について行けず登校拒否に陥っていた私をナゲシュワラ・ラオに引き合わせてくれた人物がいた。 ラオ先生のアメリカ人の弟子エドワードだ。ラオ先生と一緒にコンサートで演奏するほどの腕前だった。 インド音楽なんかやめて日本に帰ろうと思っていた私はラオ先生に引き留められ、個人レッスンを受けることになる。
エドに会わなければ、私はインドと関係ない人生を歩んだと思う。 左は息子のクリシュナ。
次女のシャラダさんと。 さっぱりした性格で大の仲良しに。
T. Nagar の上村勝彦先生のお家で。 庭にカメレオンがいた。
上村先生と一緒に住んでおられた東大寺の平岡昇修さんと
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ニ度めの渡印は1975年。引き続きラオ先生にヴィーナ―を習った。
レッスンの合間にマイラポールのパーカッション・スクールにムリダンガムも習いに行った。
ヴィーナ―のレッスン中、奥の廊下の隅を時々ネズミが猛スピードで走り抜ける。
ナゲシュワラ・ラオ先生ご夫妻と。奥様は物静かでやさしい印象の素敵な方だった。
ラオ先生には娘三人、息子一人の四人の子供たちがいた。写真は長女のヴィジャヤシュリ。長女と次女がヴィーナーを習っていた。
ヴィナーヤ―カラムの父ハリハラ・シャルマ先生にムリダンガムの手ほどきを受ける。この学校の創設者で、かのカライクディ・マニもここで学んだ。隣にいる二人はラーマクリシュナンとセルヴァガネーシュ。
ヴィナ―ヤ―カラム先生のレッスン。 小柴はるみ先生がトルコに行く途中インドに寄られて一緒に習うことに。